一長さんが殺された。報道を頼りに原因を聞けば、つまらぬ理由が堪らない。知人たちから連続的に入る携帯電話と、その時刻私がいた大学病院付近を走る救急車のサイレンとは、ほとんど同時であった。蘇生に望みを賭けた。丈夫な体格である、それに害される人柄ではない、回復を待つ、可能性はある、と思いたかった。多くの市民には、自分たちの一長さんだという思いがある。
20年前、県会議員二期目の頃、管や電気の専門業者十数名の支持者仲間で、「而今会」と名づけた後援組織をつくったときがある。中国・明時代の思想家、王陽明の詩から採って「さあ、これからだ、鐘を鳴らそう」といった趣旨だった。熱気の40代が多かった。
ある時、一長さんが「次の統一選挙は市長を目指したい」と抱負を明かした。現職市長の再出馬は明確でもあったから、対立候補である。県会議員としては支持できても、現職市長に対抗する意思はない立場もある。而今会では「任意の選択」を決議する度量があった。
しかし、その後にあった立候補声明の集会へは、意外にも「任意に」みんなが顔を揃えていた。このときは、政党の調整もあって、先輩政治家に一本化され、保守、革新、現役競合の内に本島等現役市長が四選された。
そして、四年後の平成7 年、49歳の伊藤一長・長崎市長が誕生した。
昨年9月1日、長崎市管組合事務所に市長が訪ねてきた。いくつかの諸団体を巡って「聞く耳」から政治課題の深厚を図っていると映った。岩永理事長は、組合は組合員の苦渋を体現しつつも、市からの諸委託業務が回生の手がかりだと、その品質の自負から継続を要望した。
話題が途切れると、市長は場繁るぎのように私に発言を促した。「全国、いや世界にどれほどの市長がいても、二人しかいない市長がいる。被爆体験からものごとを考える市民を持つ、広島と長崎の市長だ。改憲・右傾を触発する言動が多い首相が生まれそうだが」と言ったら「安倍さんも首相になれば、いいたいようには言わなくなるものだ」と市長は答えた。
この4月、靖国神社の春季例大祭に関して「したか、しないか、申し上げるつもりはない」と「現代用語の基礎知識」選の流行語にノミネートされそうな首相の言辞を一長さんはどう聞いたろう。
悔し紛れの短絡な発想かも知れないが、日本に違法な銃砲が溢れていることがおかしい。政府、議会、警察、メディアのどんな決議より、ここぞと警察力を顕すには、この機会に全国の違法な銃砲1万丁摘発に挑んだらどうか。人口比でいえば、東京1千丁、九州1千丁(うち長崎県百丁)、少しは暴力を削ぐ具体案になる。
目を瞑ればまだ一長さんがそこにいる。
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